【第35話】日本橋千疋屋総本店にて

言葉のスケッチ

日本で最も歴史ある果物専門店である千疋屋の創業は江戸時代、天保5年1834年にまで遡る。
そんな千疋屋日本橋総本店の2階奥は、ゆったりと食事が出来る空間になっていて気持ちがよい。

招待して頂いたAさんとは、昨年の夏に続いて2回目の会食となる。
博識な上に人生経験豊富なAさんは、今宵もリズミカルな口調の中に
色々大切なことを織り混ぜながら、私と細に話して下さる。
そうした楽しい時間を、料理、飲み物の面からサポートして下さるのはソムリエのIさんである。

会話は楽しいし料理も美味しい。
そして、1本目のワインが空になる頃には酔いも廻ってくる。

先程から、Iさんの手にあるソムリエナイフが気になっていた私は
2本目のワインを開け終わったIさんに「見せていただけませんか?」と切り出してみた。
「いいですよ」アッサリとOKして、わたしの掌に乗せられたソムリエナイフは
見た目の通りしっかりとした重さが感じられた。
大切に使い込まれて重厚感のある佇まいを身にまとっている。

このナイフは幾多のワインを開けながら、どの様な歓談の時間を見てきたのだろうと想像し
考えがしばし時の流れのなかに遊ぶ。

ぼんやりしている私にAさんが
「ここ千疋屋は数十年前までは、お店に火鉢とおばあちゃんの佇まいがあったんですよ」
と教えてくれた。

窓外に視線を移せば、再開発で建て替わって行くビルが見える。
隣の三井本館は明治の佇まいそのままに重厚な姿を残している。

新しい物と古い物、新しい事と古い事、そしてそれらに関わった人々の時間。
悠久の時の流れの中で、思いを馳せた時代の断片にはどんな物語があっただろう。

「変わってしまったものの中に在る変わらないこと」や「変わらないものの中に在る変化」
新旧が同居したここ日本橋では、色々なところに百年の年輪を垣間見ることが出来る。

Iさんの手とソムリエナイフ

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