『マンテーニャ 死せるキリスト』
言葉のスケッチ
大学に入学し間もなく友達になった彼の実家は北鎌倉で、
その頃の私の趣味が彼の弟さんと同じ自転車だったこともあって
一年生のころからよく遊びに行かせてもらったものです。
彼は2浪で芸大に合格した私と同じ歳でした。
何回目かに北鎌倉にお邪魔した際、離れの2階の隠れ家に案内してくれたのを覚えています。
彼は自宅浪人しながらそこで描いたマンテーニャの模写を見せてくれました。
画集を手掛かりに、マンテーニャの精神性にまで迫ろうとした鉛筆デッサンの中には
その一枚で彼がいかに多くの事を学んだかが見て取れる見事な一枚でした。
2年後上野の美術館にその実物がやって来た時の彼の心の中には
どんな感動が沸き起こっていたのか今はもう確かめようも無くなってしまいました。
良きライバルで、音信は無くとも頑張り続けているに違いない彼が才能を終えたのは
3年前の冬の日でした。
この絵を観るといつも、彼と彼の才能とあのデッサンを思い出します。