有痛性外脛骨とおつり
言葉のスケッチ
一か月ばかり前から足を痛めて難儀な生活をしています。
有痛性外脛骨、くるぶし近くに一寸した骨がオマケで付いていて
生来の偏平足と相まって筋に悪さをして腫れあがる。
数年前にもやったことが有るのですが、まあ酷い捻挫の様なイメージでしょうか。
その実全く歩けない痛み様で、前半10日間は家の中をハイハイ生活でした。
何とかビッコで歩ける様になったところで一寸無理をしたら
足は再び腫れあがり振り出しに戻ってしまいました。
普段一歩一歩の歩みに意識やありがた味など感じる訳もなく
当たり前と思っていた事を取り上げられると全く惨めなものです。
「何でも無くしてみないとわからないな」と思うと同時に、
「こうなる前に少しぐらい警告してくれてもいいじゃないか」
と我が足と自分自身を責めてみる。
今回の様な事に限らず、無くして困る物事には有事の前に
微かでもいいからサインが欲しい。
例えば健康面だけでなく、生きとし生けるもの同士の出会いにも最初が在れば最後もある。
何気なく接するこの瞬間が最後のそれと言うこともあり得るだろう。
そして自分の人生を痛める悲しみと出会う羽目にならぬ様
「精一杯かすかな気配も見逃さないで過ごすぞ」と誓うに至る。
文字通り足を引っ張る足をぢっと見つめながら
「お前さんは何で言うことを聞かないの、明日の朝には良くなってみない?」
よーく言い聞かせて目覚めた翌朝も腫れは引かず血色は優れないまま。
もうしばらく掛かりそうです。