二種類の分岐点
永年の制作では時折大きな分岐点があってそれは二つの種類に分けることが出来る。
一つは分かり易くまたもう一方は分かりにくい判断に時間が掛かるものだ。
分かり易い方は、完全敗北による諦めの発生で止む無く軌道を修正する分岐点であり
自分が見込んで進めた美の追求が、先人たちによって完全に結果を出されており
その先に新たな個性の発生の可能性が無いことで起こる。
一丁当ててやるぞと掘り進んだ鉱山が完全に掘りつくされた山だと分かるようなもので
撤退そして次にシフトする感覚は明確なものだ。
さて、もう一つの分岐点は、先の例とは反対の種類のものである。
画家は稀に自分の実力以上の制作をすることがあり
感性に任せ描き上げた絵の中には、思いもよらない所で手が止まってしまう事がある。
普段であれば未だ途中の段階なのに「絵が出来た」ことを感性が知らせるので
それ以上手を入れる事が出来ないのだ。
この種の絵の完成は自分の中のコンセプトが跳躍して軌道を変えるべき所に差し掛かった事を
知らせるもので、出来た画面をしっかりと認知して次のステージに
移行する為の判断にも時間が掛かる。
「出来ちゃった?いややっぱり出来ている、これでいいのか?いやこうなのだ。」
感性が起こすエラーによるブレークスルーは非常に重要な分岐点となり
脳には価値の更新が要求され、また制作人生での価値も大きい。
この瞬間を迎えた場面では、よーく考えて自分の感性と絵が指し示す
新たな方向をしっかりと読み解く必要がある。