金言の棘
私はこれまで絵は一生懸命を描いて来たけれど
過ごしてきた時間のなかに勉強や努力の言葉にはあまり実感がない。
絵を描く姿勢を貫く中では色々な場面に出会うことは有っても
それ自体を苦にすることは無かった様に思う。
これは「絵に真剣に取り組み続けた結果自分の人生を台無しにしても構わない」
と言う諦めの決意からスタートしたことが幸いしているのだろう。
おかげで人から「お前はダメだ」と言われても何を改善するでもなく
やっぱり絵に取り組み続ける事が出来たし、
「そうか、そういわれるのならきっとダメなんだろう」と考えることも出来た。
また、「あなたの絵は暗い」と言う人が居れば
「ひょっとすると本当に暗い絵が描けるかもしれない」
とヒントとして捉える事にもつながった。
個人ではなくとも世の中や社会という集合体からは、変わった事に取り組んでいる輩は
無言の圧力やいじめの雨風にさらされる。
そんな時は、小さいころからのお袋の口癖「豊文、負けるなよ」の言葉が思い出され、
身体の反応として染み込んだ感覚がテーマを続けさせてくれた様に思う。
時折振り返る人生の分岐点ではその大分前の所に、私の人生を支えてくれた恩師たちの
金言の予防接種があり、それがワクチンとして効いてくれていたことがありがたい。
小学校の頃O先生からは「何事も継続する事が一番難しい」と教えられ
美術予備校のK先生はいつも「がんばれ、大丈夫、良くなる」
の励ましの言葉をかけて下さった。
またある時、私の師匠である西江先生に「絵を描いて生きて行くコツは何ですか?」
と質問すると「鈍感になることです」と教えて頂いたことも思い出す。
こうした金言達は、今も心のどこかに留まり、抜ける事のない棘として
私の無意識に作用し続けてくれている様に思われる。