『理解は徹底的に』
芸術論とひとりごと
ひたすら努力して当たり前の事に行き当たるのはよくある事です。
再認識された「当たり前」は理解が深く強固です。
一方、「大体出来る、大体わかっている、大体○○、、」は制作において
全て当てにならない役立たずです。
それを出来るつもりや分かっているつもりで居ると
敵兵の働きをされることにも成りかねません。
理解は徹底的に深い事が大切ですが全てに関して深い理解を得ることは不可能です。
「では何に対して?またどうすれば?」
これは人それぞれが違う鍵穴を持っている問題なので本人にしか分からない事です。
理解すべき点を見つけ出すコツの一つとして「面倒くさく感じる」所に
潜んでいる事が多いのでそういうつもり探ってみてはどうでしょう。
『理解した結果至る場所は同じでも、理解に向かう経路は皆違う』
この経路の違いがミソです。