人の時間、猫の時間
言葉のスケッチ
私の家族は細と猫二人、猫達を人間の年齢に換算するとネオは60歳でモンは32歳
未だ40代の細と50歳の私は猫達に老若で挟まれた格好だ。
一年後を考えてみると私と細は一つずつ年を取り猫達は64歳と36歳、
更に5年後ではネオ80歳、モン52歳で私と細は共に50代。
こう考えると猫達の人生の歩みがいかに早いのかがわかり寂しい心持ちになる。
猫達は生まれてから生を終えるまでの様子を私たちに見せてくれるが
逆にネコ達から見れば私と細は余り変わらず自分の時間だけが
経って行く様に見えているかもしれない。
子猫から成猫へそして老猫へと変わって行く姿は私にも確実にやって来る
これからの時間の様子を予め教えてくれている様にも思える。
そう言えば昔読んだ確か、「象の時間ねずみの時間」そんなタイトルの本の中に
哺乳類の生涯心拍数は大体同じで、象はゆっくりと拍動し、
ネズミは早鐘の様に脈打つことが説明されそこからの結論として
生き物が実感として過ごす一生の時間は、象もネズミも同じではないか、と結んであった。
実際にネオのお腹に耳を近づけてみると鼓動は速い。
人間さんと比べると余りにも足早に一生を終えてしまう様に見える
猫達の人生が、私たちの人生と同じ長さの実感を伴っていることを願いながら
ネオの心音に少し安堵しまた寂しさを感じた。