巨匠との同居生活(神田古本街で)
言葉のスケッチ
神田の古本街はそれまでも数回行ったことがあったけれど
知っていたのは美術書を扱う数店だけだった。
地下鉄駅から神田川を渡り御茶ノ水駅からの坂を下りきったところで靖国通りと交わる。
そこは書店街の中心で表通りから一本或いは二本入った細い道沿いに
当時大小数百の書店が軒を連ねていた。
先ずは街全体を端から端まで見て回ることにして、東は淡路町から南は一ツ橋近く
西は九段下、そして北は水道橋まで範囲を広げて歩き回った。
本の街には新書から古書、様々な専門のお店があり
洋書、和書、美術書、医学書、語学、写真や漫画に至るまで
店構えや奥に腰を下ろした店主の顔付きまでヴァリエーションに富んでいた。
1週間程すると私が探している画集が入荷する可能性のある店が分かったので
以後はそれらの店を中心に見て回ることにした。
今日も見つからない。
毎日古本街に脚を運び始めて3週間目、夕暮れがだんだん早くなっていることも感じる。
お決まりのコースいつもの古本屋さんを前に、「どうせ今日も、、、」の考えが
頭に浮かんだがそれを振り払い階段を駆け上がると美術書のコーナー、
勝手知った本の並びの中に違和感を覚えた。
お目当ての画集だった。
ミケランジェロ素描全集、外箱から取り出し本を開くと、
見事な再現性の図版がそこにあらわれた。
大きな画集です。
この日の収穫は二つありました。
一つは画集を手に入れた事、そしてもう一つは どうせ と考えるのは良くないと学んだ事です。
手が痛くなる重さの画集を抱えながら帰り道の足取りはとても軽かったのを覚えています。