何もしない徳
昨夜のウイスキーの効き目が残った朝に始まったこともあり
今日は何もしない一日になってしまった。
制作するでもなく家のことをこなすでもなくただ一日アトリエで
何もしないままにしていたら、いつの間にか夕刻である。
何を考えるでもなく頭の中を自由な状態にしていると色々な事が浮かんでは展開し
展開しては消えて行くのだけれど細に言わせるとこれが難しいのだそうだ。
この感じを延長して、より積極的に何も考えない状態に持って行くとそこは瞑想の入り口になる。
いつも活動的で小動物さながらのペースで何事もこなす細君がある時
「瞑想がしたい」と仰った。
夜静かな部屋でお香を焚いてそれらしい雰囲気を作っておいて、
昔教わった座禅の恰好から瞑想入りを目指ししばらく座ったあと
細の感想は「何も考えない様にするの難しい」だった。
何かしら考えてしまうそうで頭の中をからっぽにして何も考えないことをする
頭の使い方をした事が無いそうである。
私からすると普通のことだけれど、自分の人生を振り返ってみれば、
幼少期から高校、大学から現在に至るまで多くの時間を使い練習を積んで来たのかもしれない。
縁側に腰を降ろし日向ぼっこしながら昔を振り返る好々爺とは少々選を異にする
この時間の使い方には案外修行が要るのかもしれない。
そう考えると、二日酔い一歩手前で始まり何もしなかった一日が
徳を積んだ一日にも思えてくる。