ネコたちの年中行事に思うこと
言葉のスケッチ
今日は午前中から猫たちのワクチン接種に行って来た。
例年接種が済んで数時間経つと何となく大人しくなり
人間に例えるとちょうど風邪を引いてしまった様な按配になる。
その様子にネコの小さな体内で、ワクチン→免疫反応
の機能が発揮されているのが感じられるのだけれど
元気が無いのを見ていると何となく心配になるは毎年同じこと。
ネコの予防接種の効力は1年位で、大して弱らない年もあれば
丸一日ぐったり寝ていたり免疫の残り具合によって反応も色々なのかなと思う。
ネコに限らず人間さんもツベルクリンからBCG、天然痘からインフルエンザまで
たった一本の注射で身体の中では本人の意識とは無関係に生命反応が営まれる。
体調の遠因は心掛けにあっても本当の所は身体自体は
本人とは無関係に生存しているのではなかろうか。
自分では何某かの考えを持って生きそして悩んでいても
レントゲンを撮って映るのは頭蓋骨ばかりでがっかりするので
私は自分のレントゲン写真を見るのが嫌いだ。
第一、 肝心の中身が何も映し出されていない。
昨年10月に腎疾患で入院したネオを写したレントゲン写真にも
ネコの骨格がみえるだけでネオの本体は何も見えなかった。
「ネオ、ねこだったね」「うん、ネオが写ってなかった」
意識や志に無関心な身体自体はやはり入物だなーと思いつつ
段々に老猫へと向かうネオへの気遣いをして行く中で
やがてやって来る自分の身体の老いとの付き合い方を
学ばせてもらうのかなー、そんな風に思った。
寝てます