野ネコのシャー
言葉のスケッチ
半年ぶりにやって来た野ネコのシャーは
頭ばかり大きくてマッチ棒の様な姿をしていた。
あまりにニャン相が違ったので最初は別ネコかと思ったくらいだ。
春から秋までの間どこでどうやって過ごしていたのかは分からないけれど
田舎の野原にバッタも居なくなる今時分が放浪生活のリミットだったのだろう。
ガリガリに痩せた姿は苦行を済ませ山を下りた修行僧の様にも見える。
そうすると命からがら訪ねた山寺が我が家でそこの住職が私。
軒下を借りて雨露をしのぎ宿坊の夕餉を待つ。
人間さん目線で言えば、宿坊は飽食の生活から切り離された
静粛と食を体験するスリムな時間だけれど
私が運ぶご飯はシャーにとっては正しく生命線。
飼っている訳ではないけれど3年ほど前から秋も深くなるとやって来て
桜が終わるころふっつりと姿を見せなくなる彼は絵の中にも登場してもらっているし
私が食事をあげに行くと頭を一つ撫でさせないと食べ始めようとしない仁義も身に着けた。
3週間前にやって来たシャーには我が家の猫輩と同じキャットフードをあげている。
体形も少しずつ戻りつつある。
また春になれば姿を見せなくなるのかもしれないが
それまでに丸々肥えた体格になる様今日も大盛りご飯を振る舞う。