強弱型情報処理 私の場合
私の情報処理の仕方は順序、秩序立ってはいない。
問題や条件などの情報は全て頭の中に放り込んで答えが浮かぶのを待つ方式だ。
情報の仕舞われ方も分類型ではなく強弱型で各要素に垣根は無い。
これは制作中は脳を解き放っているのでその方が
発見を生み易い形式として自然に身に付いたのだと思う。
強弱型は中間値の欠損が無い絶対値的なやり方なので
分類デジタル型と違い、計画性は見通せないものの導き出す答えは正確無比である。
分野を超越した理解や発見が訪れるのも恐らくそのしくみが一役買っていそうだし、
全ての垣根が無いおかげでニューロンが自在に
シナプスすることが出来る状態に保たれているのだろう。
一方、強弱型の難点としては、心配事などを入り込ませない日常への気配りが大切で
そう言った脳の維持管理がデリケートな点があげられる。
そう言えば昔読んだ、アルマンドゥルーアン著「絵画教室」の中に
「どんな小さな心配事も制作の邪魔をするのに十分である」と書いてあった、それと同じだ。
脳の中で勝手に行われるそれら情報処理は、自分の頭の中の出来事なのに、
私の関知出来ない、神経の専門職がもう一人いて、
「あり得そうもない組み合わせの結線」を試したりしているのだろう。
この工程は電子機械で言えば電源を入れたまま
「この配線を引っこ抜いてこっちに繋いで」とやる様なものなので危険を伴う。
不安だったり、絶望だったり、閉塞だったり、そんな危険な状況になった時には
わずか15センチ四方の頭の中のどこに住んでいたのか二人目の救自の専門職が姿を現す。
二人目はどうやら巨大な宇宙観から救いの手を差し伸べる専門家らしい。