白い画面とにらめっこ
芸術論とひとりごと
今日は描き始める前の真っ新な画面を一日中見て過ごした。
この一枚がどんな絵に仕上がるのか描く対象も未だ決まってはいない。
確かな事から閃きに似たものまで精一杯門戸を広く眺める時間。
描き始めてから完成までは出来るだけ短時間に済ませたい。
無駄や反目する要素は雑味につながるので描き始める前の
イメージの明確さはとても大切なのだ。
一枚の絵が出来上がる経路は色々あるけれど最短距離で完成へ向かうことは
そのまま絵の鮮度や見える速度に反映される。
無限の可能性から唯一の経路を読みきるのが理想だけれど中々そうは行かない。
過去に経験した画面からの裏切りも絵のプラスとなる様考えを巡らす。
この時間を自己分析してみると曼荼羅図の様な考え方をしている気がする。
以前から描こうとして温めていたモチーフや構成を投影してみる。
失敗する可能性やこうなるかもしれないかもしれない要素には
二重三重のプロテクトを用意し想定外なんていう不細工が
入り込まない様にしなければならない。
練り上がったプランが正しければ一枚の制作は半分出来たも同じである。
そうして今日一日眺めた結果分かったことは、「画面が小さい」だった。
明日もう一回り大きな画面と差し替えて再度イメージの熟成に向かう。
追伸
制作は手術に似ている。
オペに時間が掛かれば患者は弱る。
そうならない為には筆を持つ手さばきも無駄なく美しくなければならない。